いつか体が動かなくなったら

命が果てるその瞬間まで
俺は仕事をしていたい。

強烈なうまい酒を飲んで楽しんでも
次の日は二日酔いで億劫だ。

のんびり昼寝をしていても
寝過ぎると具合が悪くなる。

友人や恋人と楽しい一時を過ごしても
いづれ話すことがなくなってしまう。

すてきな場所へ旅行をしても
早く家に帰りたいなと思ってしまう。

だから
命が果てるその瞬間に
酒を飲んでたり
ダラダラ休んでいたり
大事な人と一緒にいたり
どこかへ旅をしているのは
あまり、俺には合っていないように思う。

仕事がいいよ。
誰かの役に立っている。
お役御免や、引退なんてつまらない。
体を動かすのがどうしても無理になってしまうまで
意味のあるしごとをしていたい。

いつか体が動かなくなったら
仕事ができなくなったら
いや、きっとなにかできることがあるはずだ。

体が動かなくても。きっと。

人を疎ましく思ったら

ひとには二種類いて

自分の感じ方や想いを日々の主軸に置く内面世界嗜好の人と

他人との関係性や世間との付き合いに重きを置く外面世界思考の人がいると思う。

 

もちろん、多くの人は両方とも大事にしているのだけれど

時折いづれかに偏った人もいる。

 

どちらの思考についても

善し悪しなんかはない。

 

人によっては、

今日は内面世界について考え

明日は外面世界について考える。

 

いったりきたりの俺たちなのだけれど

内面世界に没頭しているときは

他社との関係が億劫になり

外面世界に没頭しているときは

生の感情を吐露されるとどうにもやりにくい。

 

そんな人間の関係性の中で

ぶつかったり、励ましあったりしながら

俺たちは生きているってことだけは

押さえておかなくては

 

この人はガサツで、人の内面にズカズカとはいってくるな、なんて思ったり

こいつは、何でそんな自分一人で折り合いをつけるべきことを俺なんかに話し始めるのだろう

なんて軋轢を産んでしまう。

 

ひとは、みんな思いこんだり、話し込んだりするものなのだから

 

それをしっかりと、理解して

内面世界に没頭している人も

外面世界に没頭している人も

等しく理解してあげなくてはいけないよ。

 

じぶんもそう。

人を疎ましく思ったら

こんなことに思いを巡らしてみると

思いのほか、何だって許せてしまうんだから。

まじめに仕事して金がない

大学の同級生と会い

収入が自分より多いとき

やはり人は

 

うらやましいな

あいつとは大差なかったのに

なんて思うものだ。

 

しまいには

転職してえな!

 

とかおもうものだ。

 

でも、東芝が現在ピンチなように

時流の流れでもって

給料は上がったり下がったりする。

自分より給料の高い奴だって

もしかしたら

下がることかあるかもしれないよ。

 

いっときの差でもって

やきもきするのは

はっきりいってあまり賢くなくて

まして、会社の給料なんてものは

日頃の努力の積み重ねで

すこしずつ増えていくものだし

自分の努力ではどうしようもないところで

大きく左右されるケースもある。

 

だから、誰かより給料が低い!と

大騒ぎするのは

すこし考えが足りないんでないかと思う。

 

でも、実際問題

給料がひくい。

努力しても、給料なんてぜんぜん上がらない。

 

と嘆いているのであれば

独立して、自分の腕一本で

生活してみるしかないんだろう。

 

給料があがるも、さがるも

自分以外に責任を負う人はいないから

まさに自分次第でどうにでもなる

世界になってくるはずだ。

 

まじめに仕事してるのに

金がない!

なんて、

 

そもそもおかしな話で。

会社組織に属している時点で

給料が高いとか低いとか

どんぐりの背比べみたいなものではないのかなあ。

 

これは金額の差を、いってるわけでなくて

本当に自分の力で得た金だ!と

いえるのかは、会社組織に属している時点で

自分の力以外のものが働いているんだから

給料が多いから威張るとか

給料が低いから卑屈になるとか

阿呆らしいんじゃないか。

 

はっきり言って

会社員の給料の多寡は

それが個人の能力によるものかなんて

わからねえんじゃないかなあ。

 

じゃあ独立だ!

ってはなしになるんだろうけれど

それはそれで

給料の多寡で大騒ぎするとか

あまいものではなくて

生きるか死ぬかって問題にも

なりかねないことだから

安易に考えられないことなんだろうなあ。

 

 

でも、まあ、金がほしけりゃ

じぶんで稼いでやるぜ!

じぶんで商売やってやるぜ!

 

くらいの気持ちでないと駄目なんだろう。

安月給でも、ぼちぼち暮らせたらいいや。

ってのが、大半だし

それ、悪いことじゃ決してないしね。

おれも大体がそんな気持ちだし。

 

なんとなく餓死しない程度に飯も食えて

ネットサーフィンで無料で

ぼんやりコンテンツみて満足して

安い酒をなめて

なんとなく過ごせている。

 

そんな居心地のよい状態からは

安易な思いでは

抜け出せるわけはないよ。

 

火薬に火をつけるような

激しい化学反応みたいなものがないと

ひとはそこに居続けようとするものだと思う。

 

 

黒炭を押し付ける

大学五年生の頃

金が無くて遊びにも行けず

というか、なけなしの金はパチンコですってしまい

酒はトリス・ウイスキーになり

飯は、米と味噌汁と沢庵になった。

 

バイトの金がでるのはまだまだ先だ。

 

暇つぶしのゲームも飽きた。

ネットサーフィンも飽きた。

 

だから、鉛筆とノートで稚拙な漫画を書いてみた。

高校時代は将来漫画家になりたいと思ってたから

なんとなく漫画を書いてみたのだが

これが、その時の心境に妙に合って

面白くてたまらない。

 

セブンイレブンで買ったノートに

あっという間に漫画ができた。

 

二冊目をかって、また、新しいストーリーを書いた。

 

青春物語。

将来が不安でつぶされそうで

彼女が欲しくて寂しくて

ギターを弾いて思いを吐露する

 

そんな主人公と友人の話ばかりを書いた。

 

 

まだ、そのノートは残っていて

時折、目を通すのだが

(律儀に何年何月にこのページを書いた、ってのを、メモっているから、なかなか面白い)

 

それをみて思うのは

あまり、成長してないんだなということ。

 

黒炭をノートに押しつけて

なにか答えを得ようとしていた

若い時代を肴に

白州を舐めている。

 

すこし、最近怠けているな、もっとがんばろうかな、なんておもいながら

週末は静かに過ぎてゆく。

 

 

 

 

卑怯であるということ。

いつもAさんがお客さんのの大事なものを借りて

別の人が大事なものを返却する。

 

ある日、Aさんがお客さんの大事なものを借りて

Bさんが大事なものを返却しなかった。

 

次の日、お客さんが大事なものが無いと騒ぎはじめ

Aさんが謝った。

 

でも、もちろん、返却するのはBさんだったので

Bさんは再発防止策を練ったけど

Bさんが、お客さんに謝らなかった。

 

これには、Aさんも困った様子。

 

で、Aさんは、おれの先輩だった。

 

『これ、Aさんが謝ったままだと、Aさんが悪いみたいに思われませんか?』

 

で、Bさんにそれとなく伝えた。

 

Bさんは『わかった』といった。

 

程なくして、Bさんは、お客さんに

『再発防止策を周知して二度とこのようなことがないようにします』

といった。

 

 

いや、そういうことじゃなくて

Aさんが、あんたのせいで汚名をかぶったんだから、その汚名をそそげよ!

 

と思った。

 

で、話は結局うやむや。

 

なんで、Aは悪くありません。俺が返却をわすれたんです。

 

と、言えねーんだよ!!!

管理職やめちまえ!

 

と、関係のない俺は非常に腹が立ってしまった。

 

Aさんは、『まあまあ、いいんだよ』

と言ってた。

だから、俺も腹を立てるのはやめた。

 

 

卑怯であるということ、がどういうことなのかを、改めて学んだ。

 

 

酔って自己嫌悪しているあなたへ

酒を飲み、そして酔う。

 

ああ、飲み過ぎだ。他の人もいるしこれ以上飲んでしまうと、自分を失い、大はしゃぎしてしまう。
誰かが何かを話したそうにしていることは知っているのに、自分ばかりが話してしまう。

それはわかっているのに、衝動を抑えきれない。

ああ、ほら、暴走している僕をたしなめようとする人が、僕に対して『おこごと』を言い始めた。

それに対しては謙虚に反省しなければならないことはわかっているのだけれど、でもムカッ腹を立てて反論してしまう。

そのうち、気分が良くなってきて、下ネタを言ったり、偉そうな人の頭をペチペチ叩いたりして、記憶が途切れ途切れになり、服を脱ぎ始めたりして、みんな大笑いするけれど、決して僕は愉快ではない。

誰かに肩を担がれて、帰宅の途につく。
Yシャツの胸ポケットに二千円を突っ込まれて、タクシーに乗せられる。

帰宅して、冷たい水を飲み、布団に倒れ込む。

次の日に、方々に頭を下げてまわる。

『失礼しました』
『ご迷惑をおかけしました』

そして、具合の悪い体をひきづって、満員電車に乗り込み、最寄り駅について、冷たい空気を胸一杯吸い込む。

ああ、僕はなんてことをしてしまったのだろう。
自己嫌悪に世の中が真っ暗になる。

謝ったときに
『おまえ飲み過ぎなんだよ』と
言った、Aさん。

謝ろうとして、僕を避けて
謝罪の言葉すらかけられなかったBさん。

自己嫌悪が、すっぽりを僕を包む。

『おまえみたいな奴がいるから、俺はね、社会人になって、たいして話すこと無い同僚の飲み会に行きたくなるんだよ』
と、言ってくれたCさん。

様々なことを考えながら、帰宅して
嫁の作った飯を食い
ベランダで、たばこを吸う。
昨日、たばこを吸いすぎて喉が痛いのもかまわずたばこを吸い、なんとなく空を見上げてみると星が見えて、月はある。

星の動きに、心を巡らし
ああ、人間がやってることなんて
ちっぽけなもんだ、と
実のところ、ぜんぜんちっぽけでないのに
自分を慰めるためにそんなことを思って
たばこの吸い殻を携帯灰皿に押しつけて
ひとつ、くしゃみをして
布団に潜り込む。

 


……というようなことを経験して
酒を飲んで自己嫌悪に陥っている人々へ。

それで、いいのだ。
そうやって、人生は続くのだ。

 

友人関係の諸事

友人関係を絶っていた。

 

以前は友人とともに『組んで』
共有している目標を追いかけていた。

まるで、バンド活動みたいに。

 

夢を追いかけるといっても
仕事は多忙を極め
ある友人には、彼女ができたり
ある友人には、子供ができたりすると

互いの夢を語らう『愛すべき飲み会』では
話す内容が凡庸に、それはより凡庸になっていった。

 

彼女と最近うまくいってるか?
奥さん、体調大丈夫か?
仕事、調子はどうだ?
体調には気をつけないとな。

 

夢より現実を語らうようになって
しばらくして、夢の共同体は崩壊した。

 

はた、と気づいた。

 

誰かが俺に言った言葉に
『結局、男は一人で仕事をするものだ』
というのがある。
男は~とか、女は~とかいう論調は
基本的にはアンチなのだが、
その言葉こそ真理だと気づいた。
……いや、俺の真理にしようと思ったのだ。

 

 

それから、友人との関係を意識的に絶った。
会うとまた、一緒にやろうという気持ちになってしまう。
会うとまた、こいつと一緒にいると楽しいな、と思ってしまう。

それは、夢の実現に(夢、夢とえらそうに言ってるけれど、その実、大したことじゃないんだが)資するものではないと知っている。
むしろ、夢の実現を失速させるものなのだ。

 

淡々とやる。
淡々と考える。
淡々と日々疲れた体に鞭を打つ。

 

何の物音もしない静かな部屋で
黙々と日々のやるべき仕事をこなす。
その継続の果てに、モノは出来上がっていった。

 

そして、久しぶりに友人から連絡があり
久しぶりに飲んだ。

夢を語らっていたあの時代は
所謂『過去の話』となっていた。(事実そうなのだが)
酒の肴になる程度のものとなった。

その友人を
『過去、共同で夢を追いかけていた奴』として
互いに再共有したのだ。

 

それが、俺と彼等との物語の終焉だった。
また会おうぜ、という確信のない文句が実行されるのも
おそらく一年後、ないしもっと先となることは
お互いに理解していたが、そこをあえて口に出すところまでは、友人と共有することはなくなったのだ。

 

十年来の友人たちとの一つの物語は
ある意味において終わった。

 

深夜の帰り道、ひとりコンクリート
一歩一歩踏みしめながら
白い息を吐いて
ボンヤリと過去のことを思い出した。

冷たい空気を肺に詰め込んで
そうか、終わったのだなと思うと
友人との過去の確執がすべて消し飛んでしまった。


夢中になってみていた映画を
見終わった後のような気分になり
なんともスッキリとした気持ちになったのだ。

 

これは新しい感覚だ、

こういう感覚を覚えながら
年を重ねるのだな、と思った。

 

ついでに自分の年齢を思い返してみようとしたが
すぐに出てこなかった。