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愛想笑いは通じないけど

嫁に愛想笑いは通じない。

愛想笑いが苦手な俺としては

とても良いことなのだが

 

通じないってのは

俺の心中洞察がうまいということで

俺が愛想笑いしてるときには

本当は楽しくもないのに笑ってる

と見抜かれているということだ。

 

で、昨日。

嫁が作った煮豆が

とてつもなくうまい。

 

こんにゃく、にんじん

とりにく、まめ、こんぶ、の

シンプルな煮豆だ。

 

そして、今日は一段と味がしみて、うますぎる。

 

うまい、うまい。煮豆うまい。と

喜んで食べてたら

どうも嫁の機嫌も良くなったようだ。

 

このあたり、どうも不思議で

俺が本当に、リアルに喜んでいるのが

的確にわかっているんだろうなと

不気味さとともに思う。

 

女というものは

心を読む術に男よりも長けているのかも知れない。

 

普段は不器用に衝突したり

いさかいがある。

そんなとき、苦手な愛想笑いでもして

うまく取り繕えたらと思うこともある。

 

でも。

変に飾らず、素直に生きていくのも

悪くないな、と思った。

 

趣味は現実を支えるための滋養

映画や小説、漫画などが
大好きな人たちは
自分の人生がうまくいかないもんだから
そういったものを鑑賞して
現実から逃避している。

 

なんて、論調をどこかで聞いた。
果たしてそうだろうか?

こんな論調は正直ちょっとまとはずれで
スポーツが趣味の人たちは
現実を忘れるために
汗を流して打ち込んでいるってことに
ならないのか? っていう。
スポーツしてりゃ、健全だ!っていう
頭の悪い論調だよ。
(経験上、体育会系ほど、陰湿ないじめが多いよ)

こんな論調は
文系的趣味のバッシング以外の
何物でもない。

まあ、ただ。
スポーツだろうが
文系的趣味だろうが
趣味に没頭するってのは
良かれ、悪かれ、現実逃避的な
側面はあるとは思う。

現実逃避は悪なのか?
っていうと、俺の意見としては
悪ではないが、現実逃避しても
現実問題、シアワセにはならんだろう。
って意見かな。

現実は戦わなきゃ。
人と戦い、自分と戦うんだよ。

趣味はそういった意味での
滋養みたいなものと、捉えている。

滋養は大切だけれど
摂りすぎると
太ってしまい、不健康になるよ。

 

趣味は現実を支えるための滋養。

そんな捉え方が

なんとなく良いんじゃないかなあ。

 

自己卑下するにはまだ早い。

思えば中途半端な人生を送ってきた。

 

絵を書くのが好きだが、バイトしながら漫画家を目指すほどの勇気もなく。
小説もどきも書いてみたが、バイトしながら小説家を目指す勇気もなく。
歌が好きだが、バイトしながらバンドをやる勇気もなく。
仕事でデザインをしているが、特筆するほど技術はない。
仕事でプログラムをしているが、特筆するほど技術はない。
競馬が得意だが、プロというわけではない。
パチンコが得意だが、プロというわけではない。

 

……などなど。


何もやってない人よりはそりゃ上手だけど
スペシャリストってほどではない。

そういうのを『中途半端』と定義するならば
割合、世の中ばかり中途半端な人ばかりなのかも知れない。

 

でも、それは悪くない。
いや、むしろ良いかも知れない。

 

組み合わせてみればいいさ。

 

自分の取り柄を一つずつあげてみて
組合せれば、なにか面白いものができるかも知れない。

 

たとえば、
小説を少しかけて
プログラムを少しできて
絵をちょっと描けるなら
サウンドノベルゲームを作れるよ。

 

競馬が好きで
プログラムが少しできるなら
競馬予想のシステムつくれるよ。

 

音楽が出来て
小説が描けて
デザインできるなら
素敵なマニアックな音楽雑誌なんか作れるかも知れない。
電子書籍とかね)

 

まあ、例を挙げればきりはないんだけど
要は、今まで、自分が生まれてきて
やってきたことを

 

ああ、俺ってば、中途半端だな。

 

なんて否定するよりは

 

むしろ、あれこれ手を付けておいて良かった!

 

と思うようになった方が
色々と良いことづくめだよ!

ということがいいたい。

 

自己を卑下するには
まだ早すぎるぜ。

 

話す理由

話す理由は

聞いてもらうこと。

 

聞いてもらうってことは

話す内容を理解しもらうこと。

共感してもらうこと。

 

話しても

理解してもらえなかったり

共感してもらえないんであれば

 

話し方を変える。

 

話しても

理解して欲しくなかったり

共感して欲しくないんであれば

 

話さない方がいい。

 

 

広告を非表示にする

踏んづけられても雑草のように

ちょいと前に

某管理職がセクハラをしたということで

降格処分になった。

 

たしか飲みが好きな女子社員(部下)と

よく飲みに行ってたが、その女子社員から

クレーム? がはいったとのことだ。

 

その女子社員はいまじゃ、結婚して

飲み会に子供を連れてきていた。

 

まあ、端から見れば

その管理職は良いメシヅルにされてたってことで

女子社員もおごりが目的なのか知らんが

ヨロシクやってたのが、口説かれでもしたんだろうな、と勝手に予想してる。

 

んで、今度は新入社員へのパワハラ

まぁ、先輩社員は忙しいから

新入社員の扱いが雑になるってのは

よくないことだが、よくあること。

時折、可哀想に、新入社員に対する

人格的な攻撃もよく見る。

 

飲みの席で女子社員に彼氏がいるのを聞いて厳重注意になった管理職もいたな。

 

で。

色々と禁止になったね。

 

女子社員だけでなく、男性社員に対しても彼氏や彼女がいるのを聞くな、とか。

教育において人格否定はするな、とか。

それはまあ大事なこと。

 

でも、ルール化されると

距離感がでてしまうよね。

良くも悪くも、だけど。

 

よくのんだ先輩からは

人格否定されるわ

彼女できない理由も聞かれるわ

将来の夢を否定されるわ

さんざん言われた。

 

でも、負けじと言い返して

喧嘩して、仲良くなっていったもんなんだけど。

先輩だからって、なめたこと言われたら

ガツンといやいいのに

本音で話して、互いに尊敬しあっていくものなのになあ、とも思う。

 

気の弱い人はそうはいきません。

 

まあ、そうだろうな。

気の弱い後輩が、同期に強めの指導を受けて

やめていってしまったのを見てるから

あのとき、どうして

もう少し優しくしてやれよ

と言えなかったのか、すこし後悔もしてる。

 

ただ、どこはいっても

はらすめんと、は存在する。

 

踏んづけられても雑草のように

したたかにやっていかなければ。

 

いつでもルールが守ってくれるわけじゃないってこと

覚えておかないといけないな。

 

 

 

 

時間を増やしても意味がない

帰宅してから自分の時間で
なにかを積み上げていく作業をしているか。

 

勉強だったり
副業だったり
趣味のプラモデルでもいいし
小説を書いていても良い。

 

平日にとれる時間は二時間くらいだとして
長い間続けているけれど
なかなか目標に到達しない。

 

はた、と思いつく。
二時間じゃだめだ。
三時間やろう。

 

でも、そのやり方は
きっとうまくいかないよ。

 

たとえば、週末の金曜日は少しくらい、と思いながら作業をせずにビールを飲んでいたり
面白いテレビ番組がやっていたら、作業をせずについつい見てしまったり

 

そういう時間があるのだから
まずは、毎日必ず二時間やれるように
意識を変えていく方がいい。

 

時間が足りない、と思う場合
実は、自分が時間を有効に使っていない時が
あるというのが、殆どの場合だよ。

 

少しくらい、いいよね。
今日くらい、いいよね。

 

なんていう甘い考えを捨てた上で
時間を増やすのならまだ納得がいくけれど。

何かを変えようとしているならば
まずは自分がどういうものか、しっかりと見つめなければ。

 

自分を変えなければ
時間増やしても、意味がないよ。

いつか体が動かなくなったら

命が果てるその瞬間まで
俺は仕事をしていたい。

強烈なうまい酒を飲んで楽しんでも
次の日は二日酔いで億劫だ。

のんびり昼寝をしていても
寝過ぎると具合が悪くなる。

友人や恋人と楽しい一時を過ごしても
いづれ話すことがなくなってしまう。

すてきな場所へ旅行をしても
早く家に帰りたいなと思ってしまう。

だから
命が果てるその瞬間に
酒を飲んでたり
ダラダラ休んでいたり
大事な人と一緒にいたり
どこかへ旅をしているのは
あまり、俺には合っていないように思う。

仕事がいいよ。
誰かの役に立っている。
お役御免や、引退なんてつまらない。
体を動かすのがどうしても無理になってしまうまで
意味のあるしごとをしていたい。

いつか体が動かなくなったら
仕事ができなくなったら
いや、きっとなにかできることがあるはずだ。

体が動かなくても。きっと。