ぶつかって、恥かいて、またぶつかって。そんな君は美しい。

納得しないまま、仕事をして

えらい目にあったことが何度かある。

 

このままじゃまずいな、と思って

先輩に相談しても、このままでよいと言われ

モヤモヤしたまま、お客さんに見せたら

怒られる。

先輩は、俺が怒られている間

黙ったまま、だ。

 

こういう事が何度かあると

少なくとも、自分の中で

よし!ばっちりだ!

と思わないと、ダメだと思った。

 

それで怒られたら

自分の力不足だ。

このあたりで、仕事を自分の物として

主体的にやろう、と思うようになったのだ。

 

で、主体的にやってる仕事だけど

先輩から指摘される。

納得行かないことがいくつかあるんだけど

最近は、大体が先輩のいう事の方が正しい。

 

つまり、勝ち負けであえていうと

いつも負けている。

いつも、俺が正しくない。

 

だけど。

だからとって

いつも正しい先輩が言うんだから

言うこと聞いちゃえ。

 

なんて考えを起こしてはいけない。

自分が結果として謝っていたんだとしても

ある段階で『良し!納得!』と思わなければ

その成果物をお客さんに出しちゃいけないんだ。

 

で、また先輩から指摘され、負ける。

それでいいのだ。

ちゃんと負けたときは、その内容を反省して

次に生かせばいいじゃないか。

 

あくまで自分の仕事なんだ。

 

時折、納得しないと進めない奴って

本当に不器用、なんて、論説もきくけど

オメーが責任とってくれんなら

いくらでも、そうするよ。って言ってやれ。

 

納得してない成果物を出される側は

たまったもんじゃないよ。

 

君に能力が無くても

いつもだめ出しされても

君の中で自信を持って出したもので

勝負しなけりゃいけないんだ。

 

うまく世の中を渡っていくことは

できないかもしれないけど。

 

それが、仕事なんだ。

それが、真摯な姿勢ってやつなんだ。

 

そこをぼやかしたら

果たして、自分は何をやって

金をもらってんだと言うことが

わからなくなってしまうんだから。

 

そういうことを一生懸命やるのが

やはり基本だが大事なんだよ。

 

先輩とぶつかって、

間違いを指摘されて恥をかいても

萎縮するんじゃない。

納得してだしたんだから。

またぶつかるときは、勇気を出してぶつかって

また負けたとしても

最終的に、君は間違いを認め納得しているはずだろう?

 

何度も何度も、失敗して

恥をおそれずに取り組んでいる

そんな、君は美しい。

 

金がなきゃ飛び立てねえよな

金がなきゃ飛び立てねえよな。

 

金がなきゃ

例えば、学生だけど自費留学したいとか

例えば、リーマンだけど独立したいとか

例えば、定年後に自分の趣味の会社を作りたいとか

 

ある程度、自由になる金がないとさ。

飛び立てないよな。

 

成功者の多くは

失敗した後の地獄の借金生活をものともせず

決断して事をなした、みたいなサクセス・ストーリーを語るけどもさ。

 

フェイルド・ストーリーの語り手は

少ないのが世の中の理さ。

 

成功者の何倍、何十倍も失敗している人たちがいる。

ネットでググればでてくるよ。

その悲惨な末路、例を挙げると

 

・嫁を風俗に売らなきゃいけなくなった

・娘を風俗に売らなきゃいけなくなった

・母親を風俗に売らなきゃいけなくなった

・蟹取り漁へ

・トンネル掘りへ

・内蔵売買

 

割とざらです。

起業したい~!って人々は

その失敗の末路を正しく認識しなきゃいけないよ。

失敗しても、大手企業に買収してもらって再スタート!なんて人もいるけど

それは『成功者』なんだって!

 

何千万の借金は甘くないんだよ。

 

で、金がなきゃ飛び立てねえよなってのは

ほとんどの人に当てはまることで

起業するとか、そういうのでなくても

まとまった現金があれば

ローン返済も安くすむしね。

 

先がある人は

ゲンキンゲットのために

仕事がない土日にでも、考えを巡らすべきだよ。

 

複数のアルバイトをしている考えにたってごらん。

もちろん、仕事が火を噴いていたりすると

そんな考えに気が回らないのは知ってる。

でも、どこかですこし、余裕ができたときに

そんなことを、考えてみるといいよ。

 

でなけりゃ、一生、『そこ』から

這い上がれ無いんだから。

 

君と違って出世している人は

日々、そんなことを考えているかもしれないよ。

 

より多くのマネーをゲットする。

それは、翻ってかんがえると

どれだけ、じぶんが人の奴にたつのか?

人の役に立つ人間になるために

なにをすべか?っていう、思考と

イコールなんだって事!!

 

金を得るんじゃない。

人の役に立つ人間になろうとしよう。

それは同じことなんだ。 

 

そして、金をゲットできたのなら

その金は、より多くの役に立つための

自分への投資だったり

嫁にプレゼントをかってあげたり

なにか仕事とは別のことだったりね。

 

そういうことに

使えるんじゃないか。

 

金は物だ。

悪いものじゃないよ。

 

善な使い方をすれば

金はきれいに消えてゆく。

幸せを残してね。

 

そうあるべきだろう?

欲望は悪じゃない

欲望がある、と聞くと

どうも良いイメージが浮かばない。

欲望があることは望ましくない、という

謙虚主義がはびこっているように思う。

 

金がほしい!それも大金が!

 

みたいなのは、俺に言わせれば

欲望ではないよ。

 

静かに暮らしたい とか

たばこを減らしたい とか

定時で帰りたい ってのも

欲望でしょう。

 

欲望という言葉の持つ

『いやしい』イメージをまず捨て去りましょうよ、ってのがひとつ。

で、その欲望だけれど

欲望を満たすために努力するんだけど

その努力の打ち込み方も、欲の深さに関係する。

 

欲が深いほど、がんばる。

てことは、欲が深いほど良いって事だ。

(頑張らないことを良し、とする考えを持つ人を除いて)

 

いぜん、人に

『●●さんって、欲がないんですねえ』

と言われたことがある。

 

でも、それはポーズで

人前で『あれもほしい、これもほしい』なんて

言う訳なくて、欲が深いってのは

ある種、隠すものだ。

それは、やましいイメージがあるから

人にやましく思われたくないというのではなく

 

人知れず努力する、打ち込むってこと。

欲が深いから、努力する。

努力は人に見せたくない。

だから、欲が深いことを見せたくはない。

という考え方。

 

金だけほしいとか

楽してなにかしたいなんてのは

欲望があるんではなく

それはただの煩悩で

マジで望んでいないんだよ。

 

 

依存を排する

誰かに依存しなければ

できないことは、やめたほうがいい。

 

そう思った。

 

なんでも一人でやるべきであって

もし、誰かの手を借りる場合は

きちんと対価を払い、契約を交わすことだ。

 

仕事は基本は一人でやるべきで

友達と一緒にやる物ではないし

おそらく友達と仕事をすると

友情を損なうことになるよ。

 

ひとりじゃできないよ!って言うなら

それは君にとってオーバーワークなので

なんとかしたほうがいい。

もしくは対価を支払うことだ。

 

なかよしこよしではなく

命の次に大事なお金の収受が発生するからこそ

皆、一生懸命になるのだ。

 

それは、人の本質だよ。

良い意味で。

 

自己啓発大嫌い

東葉経済オンライン、とかをみると

モテる男子の条件!とか

リーダーに求められる能力!とか

聞き上手になるためには!とか

 

たくさんあって

乱読する。

 

そうすると、

俺はモテないし

リーダーの素質もなく

聞き上手でもないことを痛感する。

 

で、おしまいには

こうこうこういうことをすると

モテて

リーダーとして頼られて

聞き上手になって、みんな笑顔になる

なんてことで、帰結する。

 

で、それ、本当?

ぶっちゃけると、そういつ素質がない奴でも

ルックスが良けりゃ許されて

ルックスが悪けりゃ、それ以上に不満にさせる

割とルックス至上主義みたいなトコあるけど、世間ってのは。

 

ザ・ブルーハーツ

 

♪セックス下手でもいいだろう

♪ルックス変でもいいだろう

♪ヴィックスなめてりゃいいだろう

♪ソックス穴があいてるよ~

 

なんて歌を歌っていたっけ。

 

この歌の方が俺にとっちゃ

リアルに感じるんだけどな。

 

東洋経済オンラインの記事を書いてる奴の

記事の言うとおりに自己啓発をするのは、なんかダルいんだよな。

 

説得力ないし、バカらしーよ。

 

好きなモンを好きといえない

人に気を遣って、笑顔振りまいて

それで、

モテて

リーダーになれて

聞き上手になれたって

あんた、本当に『シアワセ』になれんのか?

 

って、問題を少し論じて欲しいところなんだけど。

 

で、ご自身の著書を紹介してるあたりでジ・エンド。

その記事の信頼なんて消え失せてしまう。

たちの悪い広告屋アジテーターの類だろ、あれ。

 

厚顔無恥の恥知らず。

東洋経済オンラインってのは

中島先生のようなソンケー出来る人も

寄稿しているんだけれど

あの類の奴らの記事は寄稿させないで欲しいよなあ。

 

自己啓発させんなら

中島先生くらいのレヴェルの人を呼ばなきゃ

バカ以外は、なんの感銘も受けないよ。

 

そもそも自己啓発ってきらい。

自己啓発ってのは、まさに自分で問題を見つけ、自己変革していかなきゃいけないだろ?

遠くの誰かから言われて、自分を変えていくなんて

誰かの言葉に沿って自分の人生を組み立てていくなんて

それこそ馬鹿らしいよ。

 

 

 

 

逃げちゃダメだ、怠けちゃダメだ

逃げちゃダメだ

逃げちゃダメだ

 

って

新世紀エヴァンゲリオンかって話だけど。

 

逃げちゃいないけど

怠けてちゃダメだ。

 

『おれ、バンド活動してるんだ。人生攻めてるんだ』

なんつって年に一回のライブしかしないんじゃあ

 

逃げはしなかった(バンドをやめちゃいない)けど

怠けてんだろ! とツッコミたくなる。

 

いやまあ、もちろん続けるのってすごく大事だし、続けてるって言う精神状態を持続することだって、スゴく大変でないにしろ、楽でないことは知ってるんだけど。

 

だから、対外的には

逃げてないんだぜ!

 

っていうのは、まだよしとして。

 

対自分については、怠けちゃダメだ!って

自戒を含めて言い聞かせてなけりゃあね。

 

 

 

砂をつかんで立ち上がれ

一番辛かったとき

こんちくしょう、負けてなるものかよ!

っておもった。

 

一番苦しかったとき

絶対這い上がってみせる!

っておもった。

 

一番悔しかったとき

俺だってやってやるぜ!

っておもった。

 

そういう思いは風化する。

 

辛かった

苦しかった

悔しかった

 

その思いは

嬉しかった思い出よりも

大事に大事にしていかないと

 

のんべんだらりと

日々を過ごしていくことになるよ。

 

誰かを恨んだり

誰かを憎んだり

誰かをねたんだり

 

するんではなく

 

自分を鼓舞する大事な思い出として

とっておかなきゃ

 

あんたは、いつまでも

『そこ』に居続けることになる。

 

また

苦しい思いや

辛い思いや

悔しい思いを

 

することになるんだから。

 

いつまでも忘れないでいよう。

砂をつかんで立ち上がるために。