人を疎ましく思ったら

ひとには二種類いて

自分の感じ方や想いを日々の主軸に置く内面世界嗜好の人と

他人との関係性や世間との付き合いに重きを置く外面世界思考の人がいると思う。

 

もちろん、多くの人は両方とも大事にしているのだけれど

時折いづれかに偏った人もいる。

 

どちらの思考についても

善し悪しなんかはない。

 

人によっては、

今日は内面世界について考え

明日は外面世界について考える。

 

いったりきたりの俺たちなのだけれど

内面世界に没頭しているときは

他社との関係が億劫になり

外面世界に没頭しているときは

生の感情を吐露されるとどうにもやりにくい。

 

そんな人間の関係性の中で

ぶつかったり、励ましあったりしながら

俺たちは生きているってことだけは

押さえておかなくては

 

この人はガサツで、人の内面にズカズカとはいってくるな、なんて思ったり

こいつは、何でそんな自分一人で折り合いをつけるべきことを俺なんかに話し始めるのだろう

なんて軋轢を産んでしまう。

 

ひとは、みんな思いこんだり、話し込んだりするものなのだから

 

それをしっかりと、理解して

内面世界に没頭している人も

外面世界に没頭している人も

等しく理解してあげなくてはいけないよ。

 

じぶんもそう。

人を疎ましく思ったら

こんなことに思いを巡らしてみると

思いのほか、何だって許せてしまうんだから。