砂をつかんで立ち上がれ

一番辛かったとき

こんちくしょう、負けてなるものかよ!

っておもった。

 

一番苦しかったとき

絶対這い上がってみせる!

っておもった。

 

一番悔しかったとき

俺だってやってやるぜ!

っておもった。

 

そういう思いは風化する。

 

辛かった

苦しかった

悔しかった

 

その思いは

嬉しかった思い出よりも

大事に大事にしていかないと

 

のんべんだらりと

日々を過ごしていくことになるよ。

 

誰かを恨んだり

誰かを憎んだり

誰かをねたんだり

 

するんではなく

 

自分を鼓舞する大事な思い出として

とっておかなきゃ

 

あんたは、いつまでも

『そこ』に居続けることになる。

 

また

苦しい思いや

辛い思いや

悔しい思いを

 

することになるんだから。

 

いつまでも忘れないでいよう。

砂をつかんで立ち上がるために。

やさしいひとは。

やさしいひとは

なにをいわれても怒らない。

 

やさしいひとは

怒るのではなく叱る人。

 

そうだ、そうなんだ。

ムカついたから怒鳴り散らすのではなく

きみはそんなことをやっていちゃ

だめなんだよ! と

叱ってくれるんだ。 

 

嫌みのない

愛のある

叱り方をしてくれるんだ。

 

やさしいひとは。

建て前と本音

俺がつとめている会社の

所属している部が、利益が良いもんで

部からレベルアップすることになった。

 

係長は課長へ。

課長は部長へなるわけだ。

 

で。

うちの会社は技術を売りにしている

会社なのだけれど

管理職って、技術ないよ。

 

過去の技術はもってるけど

イマの技術はもってない。

 

愛想良くて

話すのが得意で

聞くのも得意で

顧客から仕事を引っ張ってこれる

そういうひとが、『管理職』にいくよ。

 

そういうひとだらけになったら

技術を売りには出来なくなるね。

詐欺だよ、そんなの。

 

技術を売りにしてるってことは

愛想がなくて

話すのが下手で

聞くのも下手な人でも

技術があれば、高給をとれるって

子とじゃないのかなあ。

 

利益重視っていうなら

社是から『技術』って言葉を

はずさなきゃ、詐欺だよねえ。

 

大した技術もなく

愛想とコミュニケーションで

仕事をとってこれる人が

気の弱い人が多い

技術のある人のケツをひっぱたいて

仕事をさせているって

なんだよ、それ? ってなるよ。

 

建て前と本音。

くだらねえことが

世の中にあふれている。

 

不変の人

ビッグマネーをほしがっている人

今の生活から脱却したい人

なんでもいいけど

そんなようなことを夢見ていて。

 

にもかかわらず、何も始めない、何もしない

そういうひとを

不変の人と俺は呼んでいる。

 

愚痴だけ言いながら

自分の人生を0.1ポイントでも

向上させるための努力をしない人々は

存在する。

 

理由はたくさんあるんだ。

 

妻が居るから

子供が居るから。

つき合いがあるから。

睡眠をとらないと仕事が滞るから。

 

不変の人。

批判はしない。

 

そこに居続けることだって

並大抵の努力ではないからね。

 

下に落ちないことだって

努力を要することだというのは

忘れがちなことだから。

 

そこに居続けることは

すごいことなんだ。

 

上を目指すのは

難しいよね。

 

それこそ血を吐くような努力。

言葉にすればなんてことないことを

やれるひとじゃないと

今以上にはなれない。

 

小学生の時に

サッカーで一番うまい奴は

放課後に毎日、グラウンドで

練習していたよ。

 

俺たちは缶蹴りをやってたけど。

 

何歳になってもさ。

そういうことなんだよ。

 

 

 

収入がどーだこーだ、と言う前に

収入がどーだこーだ、と言う前に

自分がどれだけ人の役に立っているかを

考えてごらん。

 

お金ってのは

より役に立つ人に多く支払われ

役に立たない人には支払われないものだ。

 

それは、実力でなく

身をおいている場所、すなわち

立場と言うものも当然影響するよ。

 

でも、立場や役職みたいなものを

勘案する前に

やはり、自分がどれだけ人を幸せに

しているのだろうか?

 

ってなことを、考えて

明日はもっとよりよくなろう、と

日々、自分を磨いていくことが

大切だよ。

 

それは突拍子もない夢でもないし

地道にコツコツやっていけば

きっと、あなたの収入も上がるでしょう。

 

そんなことよりも

たった一度の人生で

ひとを、より多く、よりたくさん

幸せにできた方が

できないよりは、いいでしょう?

 

淡々と、黙々と

日々、そんなことを考えて

人を幸せにする人を

どうして、ないがしろにできるだろうか。

 

収入が、あがる、さがる、なんて

どうでも良いことで

 

人間として生まれたからには

人間の美徳みたいな物

積んでいきたいじゃないですか?

 

悪人になるより

善人になるべきなんですから。

 

そういうことを、

大事に、大事にしていこう。

 

愛想笑いは通じないけど

嫁に愛想笑いは通じない。

愛想笑いが苦手な俺としては

とても良いことなのだが

 

通じないってのは

俺の心中洞察がうまいということで

俺が愛想笑いしてるときには

本当は楽しくもないのに笑ってる

と見抜かれているということだ。

 

で、昨日。

嫁が作った煮豆が

とてつもなくうまい。

 

こんにゃく、にんじん

とりにく、まめ、こんぶ、の

シンプルな煮豆だ。

 

そして、今日は一段と味がしみて、うますぎる。

 

うまい、うまい。煮豆うまい。と

喜んで食べてたら

どうも嫁の機嫌も良くなったようだ。

 

このあたり、どうも不思議で

俺が本当に、リアルに喜んでいるのが

的確にわかっているんだろうなと

不気味さとともに思う。

 

女というものは

心を読む術に男よりも長けているのかも知れない。

 

普段は不器用に衝突したり

いさかいがある。

そんなとき、苦手な愛想笑いでもして

うまく取り繕えたらと思うこともある。

 

でも。

変に飾らず、素直に生きていくのも

悪くないな、と思った。