押し黙っている君より、きっと輝くと思うんだ。

何かを発言すると

じゃあやって、といわれて

いつまでも帰れない経験をした

 

じゃあ、なにもいわないほうが

いいじゃないか。

 

そうやって

きづいてもなにもいわなくなる

かわいそうな経験をした

 

そうやってかしこくなって

いつもまにかリーダーになって

それでもなにもいわないのか?

 

なにかをやらされるより

じぶんからやるといったほうが

自分でコントロールできるから

むしろらくなのに

受け身になる癖がつくと

いつになってもやらされている感じがして

 

だから、もういちど

勇気を出して

発言してみてごらん。

 

そしてさ、じゃあやって、じゃなくて

自分がやりますと

いってみてごらん

 

誰も文句は言わないし

大変だろうけれど

自分の思うようにすすむだろうし

いいことしかないんだから

 

だれかやらなきゃいけないのだから

じゃあやってといわれるんだから

やりますといったほうが。

結局やるんだから、その方が楽だよ

 

苦しくないよ。

 

言葉を喋るために

口があるんだから。

 

押し黙っている君より

きっと輝くと思うんだ

 

 

 

どれもこれもきちんと

社内のアンケートとか調査の締め切りを守るとかよりも

目の前のお客さんのオーダーを優先する

 

そういう人は多いけど

あまり仕事が出来ないきがする

 

仕事が出来る人は

なんでもきちんとこなす

 

これは重要じゃないからやらないけど

これは重要だからやる

ってのは、とてもあたりまえなんだけど

なんでも重要だとおもっているひとのほうが

仕事が出来るきがする

 

つまりなんでも精一杯やると

仕事が出来るようになるんだろうなとおもう

 

ていねいに、どれもこれも、きちんとね。

 

自分がやる、自分でやる

職場やプライベートやなにかに

不満があるなら

自分がやる、自分でやる

 

良くないと思ってることを

なんとかする。

 

自分の家の洗濯機が水漏れしてる場合は

業者を呼んでなおしてもらうのと同じように

職場でも、そーゆー気持ちで

自分がやる、自分でやる。

 

誰もやってくれないんだから

自分がやるしかないだろう。

 

だれかやらなきゃいけないときは

そんな風に考えると、腹落ちする。

 

損ばかりしてるな、俺は

だなんて思ってるかもしれないけど

だいじょうぶ。

 

そんな君を見つめている人は一人くらいはいるからさ。

世界が光り輝いて見えるとき

ある人の愚痴を妻にはなしたあとに

ある人とお酒を飲む機会があって

ある人に別の人の愚痴を言う。

 

そんなとき、世界が光り輝いて見える。

それは何かの錯覚だろうか。

 

人間の営みというものに対しての

何か不変な事柄をかいま見たような気がする。

 

泥臭く、互いにいがみ合いながら、しかしでも助け合いながら

人間というのは醜く、必死に生きていこうとする。

 

美しくないが、光り輝いて見える。

 

可視範囲

試験。

AシステムとBシステムの間で

通信が正しく行われるかの試験。

 

うまくいかない。

問題がどこにあるか?

どうやれば、どこに問題があるかを切り分ける必要がある。

 

これをためして、結果がこうならAシステムか怪しいかも。

これをためして、結果がこうならBシステムが怪しいかも。

 

とチャットで、報告したところ。。

 

横やりすみません。

Bシステム担当のものですが

私が担当したわけではありませんが、Bシステムは他のシステムとの通信はうまくいってることは確認されています。つまり、Bシステムは正しいのですから、Aシステムに問題があると思います。

 

という声。

 

それを確認するために

それを切り分けるために

さきほどチャットで報告したのだが。。

 

そして、別にAかBかどっちがバグっていてもよくて

AとB含めた全体がうまくいくことを

検証しているのだから

ことさらB システムは問題ないはず!なんて

いったって、あまり意味がないんだ。

 

可視範囲の問題。

 

それは否定しない。

 

はたらけといわれて

はたらいても売上があがらないと

評価されないこととおなじこと。

 

可視範囲が違う人たちがいっぱいいて

それぞれが、それぞれの範囲で

精一杯頑張ってる。

 

そんな思いがあるから、僕は

人によっては

こいつなにいってんだ、ずれてるなー

と言う人を馬鹿に出来ないのだろう。

 

自分の目の前をことを

見つめるだけで精一杯の僕たちだから。

はたらけ

はたらけ、と言われた。

 

売り上げがやばいから

働けば売り上げが上がるから

はたらけ、と言われた。

 

みんなは、売り上げがやばいから

明日やればよい仕事を

今日やることにした。

 

みんなの残業時間が増えて

売り上げはあがった

 

更にはたらけ、と言われた。 

まだ売上がたりないといわれた。

お盆は10月以降にずらして欲しいと言われた。

 

可能な人はお盆休みをずらして

はたらいた。

休みを取らずはたらいた。

 

はたらけといったひとは

会社のゴルフコンペで休みを取っていた。

 

はたらけといわれても

はたらかない人もいた。

 

みんなは

朝家を出て

次の日に家に帰る。

 

評価の時期がやってきて

はたらいた人は評価されていなかった。

会社の行事に率先して参加しなかったからだといわれた。

 

はたらいているのだから

会社の行事に参加できないのでは?ときいたら

仕事が忙しくても参加する奴は参加すると言われた。

 

お盆休みをずらしてまで、はたらいた人は評価されないのか聞いた。

 

あいつははたらけと言わなくても、元から残業していただろう、といわれた。

 

はたらいてもらったけれど

売り上げは目標に達しなかったらしい。

 

愚かなのは

はたらけと言った方なのか

はたらけと言われてはたらいた方なのか

それはわからないけれど

社会はこういう風に回っている。

 

どちらも愚かだとしたら

社会というものは愚かなんだろう。

 

少なくとも自分の部下に対して

休みをずらしてはたらいてくれた人は

次の人事査定で高評価にしようとおもった。

 

そうでもしなきゃ

もうしわけがないよ。

それに、そうでもしなきゃ

みんないなくなってしまうよ。

 

はたらいた方も愚かなのかもしれないけれど

はたらけと言った人は

人をなんだと思っているんだろう。

 

信賞必罰がなければ

兵士だって戦地に赴くかどうか

怪しいものだと思うけどなあ。

スタート、コンティニュー、エンド

なにかをはじめるために、やめる

やめるから、はじまるんじゃない

はじめるから、やめるのだ

 

つづける

 

やめずに、つづける

これもあるだろう

 

スタート、コンティニュー、エンドで

人々は目を回らせながら

ダンスしているんだよ