嫁とゆっくり飯を食う
仕事がつまらん、とか
後輩が生意気だ、とか
友人に義理がない、とか
給料が安い、とか
なんのかんの、 悩みはいろいろあるけれど
嫁とゆっくり飯を食う。
それだけで
あぁ、 人生捨てたもんではないな
と、ふと思うのだ。
別に嫁との飯、でなくてもよくて
けして自分は不幸ではないという
確かな感触だということだ。
それを感じると
すこし調子に乗っていた自分の襟を正して
謙虚な気持ちでまた、頑張ろうと思えてくる。
失敗続きの日々のなかで
そのように、自分を慰めているのかもしれないが
大切な時間であることに
変わりはないのだ。
嫌なことに、直面し、思いを新たに。
ある日、仕事が暇だったので
先輩の仕事を巻き取った。
それも終わり、暇だった。
まだなにかありますか?
と問うと
もうないからいい
と言われた。
定時になり、帰ろうと思っていると
俺以外の人は珍しく残業するという。
帰ります、というと
うーん、ほかにやることない?といわれた。
散々、あなたの仕事を巻き取って、なお暇で、あなたがやってる仕事を手伝いますか?というと、これはオレがやるといってのけたのだよね?
と、いった。いってみた。
要は残業してまでやることなんかないぞ、と。
(残業はなるべくするな、というのが、社の方針。委任契約だから残業すると、損するようだ)
先輩はなんだか、腑に落ちないようだ。
ん?
ほかの奴が残業してんだから
おまえも空気呼んで残れよ、ってこと?
それ、社の方針に反するし、そもそも
意味ねーじゃん!
利益生まないぞ。
ということが、ようやくわかったようで
おつかれさま
といわれた。
うん、確かに
つかれたよ。。
……、でだ。
まぁ、気持ちは分かるんだ。
自分の仕事が終わらないのに、ほかの奴が余裕ぶっこいて帰宅するのは、気持ちは良くないもんな。わかる。よくわかる。
でも、その気持ちは最優先で表に出しちゃだめなことだ、と俺は過去に反省したのだ。
(同じことを後輩にやったことがあるので)
で、こんなことは割とみんなわかってる。
たまに、昔気質の奴は後輩にも無理に遺らせてるけど。
(そういう奴に限って利益的な考えを持ち合わせていないし、そもそも、ちょっとしたパワハラだと思うんだが、、コンプライアンス違反では?)
改めて、
おれはこういうことを、
だれかにやるのは
やめよう
と、思ったさ。
毎日やる、毎日考える
ここのところ、Androidアプリの開発をしていた。
このブログは、多忙な日々にあって、何か、叫びたいという俺の思いで始めたが
ようやく普通の仕事にありつけてからというもの更新をぜんぜんしなくなった。
で、もう、多忙なあの頃には戻りたくない。
忙しいのが嫌なんじゃない。
忙しい割に、給料が低かったり、拘束時間が多すぎて自分の人生これでいいのか?と思ってしまったから、嫌なのだ。
つまり、、たぶん、、この仕事はやりがいを感じてるが、もっとやりがいがあることを、したいのだ。
もちろん、もっと金も欲しいぞ。
生ぬるいことをいってるかもしれないが
、多忙なら見合う金は欲しいし、やりがいも欲しい。(もちろん、やりがいは感じていたが、やりかいももっと欲しいのだ)
で、暇になったからといって酒ばかり飲んでるわけじゃなく、なにか始めようと思った。自分で、独立独歩したいということだ。
しがないエンジニアの、おれは考えるわけだが
何か作って、それで金をもらう。
それをやろうと思って、あいた時間をAndroidアプリ開発にあてている。
まぁ、早い話、Androidてゲームを作ってみようと思ってる。
一本アプリを作ったからといって、会社人生から解放されるわけでもなし。
ただ、無為に過ごしたくない。
多忙な日々を懐かしく思っている節もあって、いまの仕事はぬるいのだ。
もっと追い立てられてる位がいい。速く帰宅して、寝るまでの時間をAndroid開発にあてている。
まだまだ、先は長い。
でも、死ぬまでにはまだ時間はあるのだ。
まとまった時間なんてとれやしない。
だから、毎日やる。
毎日かんがえる。
昨日よりは多少、アップデートするだろう。
ダウングレードしなけりゃ、まずまずさ。
文字もなく、音もなく
趣味は読書と音楽
……と、書いてみるとすごく無個性な趣味だな。
近頃は、本も読まず、音楽も聞かなくなった。
ついでに言うなら、映画も見なくなった。
じゃあ、暇なときなにをやってんだと言われると
個人のアプリ開発をしながら、たばこを吸い、ハイボールを飲んでいる。
そんな日々をもう3ヶ月ばかし、続けているわけだが
なんだか、それはそれでいいじゃないか、と思う。
文字と音が日々、周りを彩っていた日々を懐かしく思いながら
文字もなく、音もなく、ディジタルな作業に没頭している自分は、なんだかとても性にあっているように思えるのだ。