反省をば。

今日は反省をば。

試験を急いでやらなきゃいけない先輩の手伝いをしていたら
バグを見つけた。
別のチームが作ったところだ。

「これ、解析した方がよいのでは?」

と提案したが、試験を終わらせることが第一だという意見で、後回しになった。

でも、おれはどうも気に入らなかった。
結局、いろんなことを後回しにしたツケが、いまのてんやわんやを招いているわけで、誰かが勇気を持って、バグをツブさねばいかんのじゃないの? とおもった。

あと、別のチームだから、ってのも無責任というか、システム全体に対して責任感が感じられないというか。
「自分担当の機能だけ間違ってなきゃ、システム全体でバグってようがお構いなし」的な思想は大嫌いだった。

で、何度か話してるうちにギスギスしてきた。
俺の怒りが止まらなかった。
でも!
試験も終わらせなきゃいけない。
だから

「いま解析しなくても、せめて試験終わったらリーダーのチェックするときに報告しましょうね」

と言った。

その後、試験継続して、そのあとリーダーと先輩二人でチェックして、オーケーをもらった。

先輩は席に戻ってきて、こういった。

「そういえば、さっき君が見つけたバグっぽいの、報告するの忘れちゃったよ」

うそつけよ!
解析するのが面倒だからだろ!
アンタ、エンジニアとしてのプライドねーのかよ!

と、言いそうになったのをこらえて

明日、おれがやろう、と思った。
もうこいつ、だめだ、と。

で、それからずっと、いらいら、もやもや、して
帰宅の時間になって、ようやく落ち着いて考えてみた。

とりあえず先輩はダメだ。
この事実は変わらないが、じゃあだからと言って怒ってもシステムの品質は上がらないし、チームワークも乱れる。

自分でやりゃいいだけの話しだ。
あんなことで、プリプリするんじゃなかったな、とおもった。

で、多分先輩も他に仕事が山積みなので
着手したくてもできなかったんじゃないだろうか、とも思った。

いづれにしても、この怒りは自分の中に閉じこめておかねばいけない類のものであることは、悟った。

そして、反省している。
いろんなことを思い出しながら。 

今日のウイスキーは妙に苦い。

忘れちまうのが、一番いい

一般論だけど
忘れちまうのが一番いいと思ってる。

嫌な思い出は、覚えててもしようが無いから忘れてしまおう。

良い思い出も、過去の栄光ばかりを引きずってしまうから、忘れてしまおう。

なんでもかんでも、酒を飲んで忘れてしまって、残るのは「今」になるわけだけど

その今が、自分が何をしてんのかってことが、
忘れていった物事が積み上げてきた結果になるんだろう。

過去の出来事から学び、それが肥やしになっていさえすれば
過去の物事は不要なので忘れてしまうほか無いのだ。

じゃないと、次の何かを始めることができなくなってしまうよ。

笑顔がそんなに大切かい?人に好かれることがそんなに大切かい?

この間、お世話になっている方から
中村天風さんの話を聞いた。

俺が愛読してるブログの人も、時折
中村天風さんの言葉を引用するので
すこし調べてみた。

とてもよいことを言っている。

笑顔をつくること、人に好かれることが大切だと説いていた。

いま、俺は誰かに、こう励ましてほしいと思った。

笑顔がそんなに大切かい?
人に好かれることがそんなに大切かい?

それが大切なことくらい
わかってるさ。

でも、それが苦手な俺たちは
どこへいけばいいのやら。

あてどなく歩いているだけで
壁に頭をぶつけてしまうような
そんな人間には難しい話なのであった。

積んで、風で崩れて、また積んで

熱をかけ続けなければ、冷えてしまう水のように
情熱というものも、熱という単語が含まれているように、熱し続けなければ冷えてしまうものだ。

冷え切ったあとは、どうなるか?
ある程度はくすぶっているのだ。

そのまま、放っておけば火種は完全に消える。

でも、またやりたい!と思って何かを始めるとまた、火種が灯り始める。再点火だ。

煉瓦を積んで、放っておくと、風が吹いてくずれるかもしれないけど、また積み直せばいいんじゃないか。

生きてる限り、その可能性を捨てる法なんてないんだ。

一年前に書いたAndroidアプリのソースコード
eclipseからAndroidStudioに移行して、再び灯がともり始めた。
あくまで俺のケースだ。

何かを作るのはいい。
なぜなら、モノが残るからだ。
火種が小さくなっても再点火できる。

また、つづきから。
大事なのは諦めないこと。
そして、独りきりでやること。

広義の意味において
仕事ってのは、孤独だ。
そして、それが大切なんだ。

仲間を捜す前に、自分で何かを作らねば。

点と線

何か問題が起きたときに
その問題の原因を探すのは、点。

その問題が発生するまでになにが起きていたか、が線。

点じゃないんだ。線で考えないと。

ペテン師にいいようにやられてしまう。


弊社の××が(部長)

リーマン社会における違和感そのいち。

他社とか、お客さんに、自分の会社の上司や先輩を紹介する場合に、敬称を省く。

社会人(会社人)として、当たり前なことだ! ビジネス・マナーだ!

というのは、ごもっともだけどさ。

もちろん、おれもお客さんにメールするときに、上司をccするわけだけど

to 佐藤様
cc 弊社)山田、加藤

とかやるよ。
でも、そうしろって教えられたからであって、呼び捨てにはできない。

素の思いでいうと、違和感はある。
なかなか慣れない。

こういっちゃなんだけど、お客さんと、後輩と話をしてるときに、後輩が

「それでは、××(俺の名前)と一緒に対応します」

とかいうと、理性ではわかっちゃいるんだけど、なんだかモヤモヤするんだよなあ。

で、このもやもやに逆らうのもイヤだから、俺は自分の会社の人でも「さんづけ」してみた時期があるが、速攻、怒られた。

だから、メールでは仕方ないから、呼び捨てにするようにしたが、トークでは、別にさん付けしたって、怒られないんだよ!

なぜだ!?
矛盾してるじゃん!

……と、まぁ、会社のルールに従えなければお給金貰えないので、我慢するが、やっぱり思うのは

なんか変だよなあ

ということ。
自分の思いは、ルールはさておき大事にしよう。

漱石草枕の冒頭じゃないが

とかく人の世は住みにくい

てのは、真理だよ。