内罰的思考のバランス

自己責任っていうことばがある。
これはなかなかに使いようがある。

なにか問題が発生したときに、誰かのせいにしたがるのは人情だ。
しかし、誰かのせいにするのは勝手だが、胸に手を当てて「自分にも責任の一端があるのでは?」と思いこむ。

それは、ある意味に置いて間違いではなくて
「失敗した他人に、失敗しないよう働きかけることが出来なかった」という意味では、自分にも責任があるといえる。

内罰的だが、世の中の管理職はそうやって、深く深く反省をして再発防止に努める。

その努力が過度になると、風通しの悪い、なんかむずがゆいような組織ができあがってしまう。

おっと、はなしがそれた。

他人のミスも自己の責任に転嫁するのは、「他人のせいにしない」っていう美徳なのだが、それを「はたして失敗の原因は何だったのか?」というところのとても面倒な調査なり、解析なりをおろそかにする方向にしてしまってはだめだろう。

ようは、「直接的にミスをしたのは、××だ。しかし、俺のせいでもある。まぁ、いいじゃないか。失敗は水に流して頑張ろう」なんてやってちゃだめだ。

大人なんだし、皆、責任を果たすことでプロフェッショナルなのであるから、やはり原因究明はじっくりしっかりやるべきなんだ。

なんでもかんでも自己責任というひとのおおくは、そういう「犯人探し」や「だれが責任とるんだ」という、作業からに逃げたいが為に、自己責任に転嫁してしまってる気がする。

内罰的思考の局地なのだけど、それは美徳でもあり落とし穴でもあるように思える。

ミスをした部下なり後輩にたいして、「怒る」んではなく、「叱る」ということが、できないひとほど、「俺が責任とるよ」なんていって(だいたいそれは、その人が責任をとってもとらなくても些末なミスであることが多い。本当に責任重大な時に限って、責任はとってくれない)悦には入ってるケースもしばしば。

いいとおもうんだよな。
場合によっては「おまえがボヤボヤしてるから、問題が起きたんだぞ!」といってみても。

ただし、その後にどうすればミスを事前に防げたのかを、ミスした本人とディベートを重ねながら、共に考えていくことがとても大事だ。

そうすれば次はミスの発生率が低減するんだから、そこに、最大限の力をかけていこうよ。

たまには、先輩にガツンと言われんと、自分の悪いところを直さない奴って、結構いるんだから。