卑怯であるということ。

いつもAさんがお客さんのの大事なものを借りて

別の人が大事なものを返却する。

 

ある日、Aさんがお客さんの大事なものを借りて

Bさんが大事なものを返却しなかった。

 

次の日、お客さんが大事なものが無いと騒ぎはじめ

Aさんが謝った。

 

でも、もちろん、返却するのはBさんだったので

Bさんは再発防止策を練ったけど

Bさんが、お客さんに謝らなかった。

 

これには、Aさんも困った様子。

 

で、Aさんは、おれの先輩だった。

 

『これ、Aさんが謝ったままだと、Aさんが悪いみたいに思われませんか?』

 

で、Bさんにそれとなく伝えた。

 

Bさんは『わかった』といった。

 

程なくして、Bさんは、お客さんに

『再発防止策を周知して二度とこのようなことがないようにします』

といった。

 

 

いや、そういうことじゃなくて

Aさんが、あんたのせいで汚名をかぶったんだから、その汚名をそそげよ!

 

と思った。

 

で、話は結局うやむや。

 

なんで、Aは悪くありません。俺が返却をわすれたんです。

 

と、言えねーんだよ!!!

管理職やめちまえ!

 

と、関係のない俺は非常に腹が立ってしまった。

 

Aさんは、『まあまあ、いいんだよ』

と言ってた。

だから、俺も腹を立てるのはやめた。

 

 

卑怯であるということ、がどういうことなのかを、改めて学んだ。

 

 

酔って自己嫌悪しているあなたへ

酒を飲み、そして酔う。

 

ああ、飲み過ぎだ。他の人もいるしこれ以上飲んでしまうと、自分を失い、大はしゃぎしてしまう。
誰かが何かを話したそうにしていることは知っているのに、自分ばかりが話してしまう。

それはわかっているのに、衝動を抑えきれない。

ああ、ほら、暴走している僕をたしなめようとする人が、僕に対して『おこごと』を言い始めた。

それに対しては謙虚に反省しなければならないことはわかっているのだけれど、でもムカッ腹を立てて反論してしまう。

そのうち、気分が良くなってきて、下ネタを言ったり、偉そうな人の頭をペチペチ叩いたりして、記憶が途切れ途切れになり、服を脱ぎ始めたりして、みんな大笑いするけれど、決して僕は愉快ではない。

誰かに肩を担がれて、帰宅の途につく。
Yシャツの胸ポケットに二千円を突っ込まれて、タクシーに乗せられる。

帰宅して、冷たい水を飲み、布団に倒れ込む。

次の日に、方々に頭を下げてまわる。

『失礼しました』
『ご迷惑をおかけしました』

そして、具合の悪い体をひきづって、満員電車に乗り込み、最寄り駅について、冷たい空気を胸一杯吸い込む。

ああ、僕はなんてことをしてしまったのだろう。
自己嫌悪に世の中が真っ暗になる。

謝ったときに
『おまえ飲み過ぎなんだよ』と
言った、Aさん。

謝ろうとして、僕を避けて
謝罪の言葉すらかけられなかったBさん。

自己嫌悪が、すっぽりを僕を包む。

『おまえみたいな奴がいるから、俺はね、社会人になって、たいして話すこと無い同僚の飲み会に行きたくなるんだよ』
と、言ってくれたCさん。

様々なことを考えながら、帰宅して
嫁の作った飯を食い
ベランダで、たばこを吸う。
昨日、たばこを吸いすぎて喉が痛いのもかまわずたばこを吸い、なんとなく空を見上げてみると星が見えて、月はある。

星の動きに、心を巡らし
ああ、人間がやってることなんて
ちっぽけなもんだ、と
実のところ、ぜんぜんちっぽけでないのに
自分を慰めるためにそんなことを思って
たばこの吸い殻を携帯灰皿に押しつけて
ひとつ、くしゃみをして
布団に潜り込む。

 


……というようなことを経験して
酒を飲んで自己嫌悪に陥っている人々へ。

それで、いいのだ。
そうやって、人生は続くのだ。

 

友人関係の諸事

友人関係を絶っていた。

 

以前は友人とともに『組んで』
共有している目標を追いかけていた。

まるで、バンド活動みたいに。

 

夢を追いかけるといっても
仕事は多忙を極め
ある友人には、彼女ができたり
ある友人には、子供ができたりすると

互いの夢を語らう『愛すべき飲み会』では
話す内容が凡庸に、それはより凡庸になっていった。

 

彼女と最近うまくいってるか?
奥さん、体調大丈夫か?
仕事、調子はどうだ?
体調には気をつけないとな。

 

夢より現実を語らうようになって
しばらくして、夢の共同体は崩壊した。

 

はた、と気づいた。

 

誰かが俺に言った言葉に
『結局、男は一人で仕事をするものだ』
というのがある。
男は~とか、女は~とかいう論調は
基本的にはアンチなのだが、
その言葉こそ真理だと気づいた。
……いや、俺の真理にしようと思ったのだ。

 

 

それから、友人との関係を意識的に絶った。
会うとまた、一緒にやろうという気持ちになってしまう。
会うとまた、こいつと一緒にいると楽しいな、と思ってしまう。

それは、夢の実現に(夢、夢とえらそうに言ってるけれど、その実、大したことじゃないんだが)資するものではないと知っている。
むしろ、夢の実現を失速させるものなのだ。

 

淡々とやる。
淡々と考える。
淡々と日々疲れた体に鞭を打つ。

 

何の物音もしない静かな部屋で
黙々と日々のやるべき仕事をこなす。
その継続の果てに、モノは出来上がっていった。

 

そして、久しぶりに友人から連絡があり
久しぶりに飲んだ。

夢を語らっていたあの時代は
所謂『過去の話』となっていた。(事実そうなのだが)
酒の肴になる程度のものとなった。

その友人を
『過去、共同で夢を追いかけていた奴』として
互いに再共有したのだ。

 

それが、俺と彼等との物語の終焉だった。
また会おうぜ、という確信のない文句が実行されるのも
おそらく一年後、ないしもっと先となることは
お互いに理解していたが、そこをあえて口に出すところまでは、友人と共有することはなくなったのだ。

 

十年来の友人たちとの一つの物語は
ある意味において終わった。

 

深夜の帰り道、ひとりコンクリート
一歩一歩踏みしめながら
白い息を吐いて
ボンヤリと過去のことを思い出した。

冷たい空気を肺に詰め込んで
そうか、終わったのだなと思うと
友人との過去の確執がすべて消し飛んでしまった。


夢中になってみていた映画を
見終わった後のような気分になり
なんともスッキリとした気持ちになったのだ。

 

これは新しい感覚だ、

こういう感覚を覚えながら
年を重ねるのだな、と思った。

 

ついでに自分の年齢を思い返してみようとしたが
すぐに出てこなかった。

 

 

 

嫁とゆっくり飯を食う

仕事がつまらん、とか

後輩が生意気だ、とか

友人に義理がない、とか

給料が安い、とか

なんのかんの、 悩みはいろいろあるけれど

 

嫁とゆっくり飯を食う。

それだけで

あぁ、 人生捨てたもんではないな

と、ふと思うのだ。

 

別に嫁との飯、でなくてもよくて

けして自分は不幸ではないという

確かな感触だということだ。

 

それを感じると

すこし調子に乗っていた自分の襟を正して

謙虚な気持ちでまた、頑張ろうと思えてくる。

 

失敗続きの日々のなかで

そのように、自分を慰めているのかもしれないが

大切な時間であることに

変わりはないのだ。

 

 

嫌なことに、直面し、思いを新たに。

ある日、仕事が暇だったので

先輩の仕事を巻き取った。

それも終わり、暇だった。

 

まだなにかありますか?

と問うと

もうないからいい

と言われた。

 

定時になり、帰ろうと思っていると

俺以外の人は珍しく残業するという。

 

帰ります、というと

うーん、ほかにやることない?といわれた。

 

散々、あなたの仕事を巻き取って、なお暇で、あなたがやってる仕事を手伝いますか?というと、これはオレがやるといってのけたのだよね?

 

と、いった。いってみた。

 

要は残業してまでやることなんかないぞ、と。

(残業はなるべくするな、というのが、社の方針。委任契約だから残業すると、損するようだ)

 

先輩はなんだか、腑に落ちないようだ。

 

ん?

ほかの奴が残業してんだから

おまえも空気呼んで残れよ、ってこと?

 

それ、社の方針に反するし、そもそも

意味ねーじゃん!

利益生まないぞ。

 

ということが、ようやくわかったようで

おつかれさま

といわれた。

 

うん、確かに

つかれたよ。。

 

 

……、でだ。

まぁ、気持ちは分かるんだ。

自分の仕事が終わらないのに、ほかの奴が余裕ぶっこいて帰宅するのは、気持ちは良くないもんな。わかる。よくわかる。

 

でも、その気持ちは最優先で表に出しちゃだめなことだ、と俺は過去に反省したのだ。

(同じことを後輩にやったことがあるので)

 

で、こんなことは割とみんなわかってる。

たまに、昔気質の奴は後輩にも無理に遺らせてるけど。

(そういう奴に限って利益的な考えを持ち合わせていないし、そもそも、ちょっとしたパワハラだと思うんだが、、コンプライアンス違反では?)

 

改めて、

 

おれはこういうことを、

だれかにやるのは

やめよう

 

と、思ったさ。

 

 

 

 

 

毎日やる、毎日考える

ここのところ、Androidアプリの開発をしていた。

 

このブログは、多忙な日々にあって、何か、叫びたいという俺の思いで始めたが

ようやく普通の仕事にありつけてからというもの更新をぜんぜんしなくなった。

 

で、もう、多忙なあの頃には戻りたくない。

忙しいのが嫌なんじゃない。

忙しい割に、給料が低かったり、拘束時間が多すぎて自分の人生これでいいのか?と思ってしまったから、嫌なのだ。

つまり、、たぶん、、この仕事はやりがいを感じてるが、もっとやりがいがあることを、したいのだ。

もちろん、もっと金も欲しいぞ。

 

生ぬるいことをいってるかもしれないが

、多忙なら見合う金は欲しいし、やりがいも欲しい。(もちろん、やりがいは感じていたが、やりかいももっと欲しいのだ)

 

で、暇になったからといって酒ばかり飲んでるわけじゃなく、なにか始めようと思った。自分で、独立独歩したいということだ。

 

しがないエンジニアの、おれは考えるわけだが

何か作って、それで金をもらう。

 

それをやろうと思って、あいた時間をAndroidアプリ開発にあてている。

まぁ、早い話、Androidてゲームを作ってみようと思ってる。

 

一本アプリを作ったからといって、会社人生から解放されるわけでもなし。

ただ、無為に過ごしたくない。

 

多忙な日々を懐かしく思っている節もあって、いまの仕事はぬるいのだ。

もっと追い立てられてる位がいい。速く帰宅して、寝るまでの時間をAndroid開発にあてている。

 

まだまだ、先は長い。

でも、死ぬまでにはまだ時間はあるのだ。

 

まとまった時間なんてとれやしない。

 

だから、毎日やる。

毎日かんがえる。

 

昨日よりは多少、アップデートするだろう。

ダウングレードしなけりゃ、まずまずさ。

文字もなく、音もなく

趣味は読書と音楽

 

……と、書いてみるとすごく無個性な趣味だな。

 

近頃は、本も読まず、音楽も聞かなくなった。

ついでに言うなら、映画も見なくなった。

 

じゃあ、暇なときなにをやってんだと言われると

個人のアプリ開発をしながら、たばこを吸い、ハイボールを飲んでいる。

 

そんな日々をもう3ヶ月ばかし、続けているわけだが

なんだか、それはそれでいいじゃないか、と思う。

 

文字と音が日々、周りを彩っていた日々を懐かしく思いながら

文字もなく、音もなく、ディジタルな作業に没頭している自分は、なんだかとても性にあっているように思えるのだ。